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    「さうです。農林学校の先生だとかをしていられると聞きましたが」

    と、横合から老父の道平が房一に寄り添つて来た。

    風はすつかり途絶えていた。

    「畜生、弱い奴だ」と、根津は笑った。

    盛子は、ほんの僅かではあつたが、速い、鋭い身ぶるひをした。そして、あの伏目がちになつた眼を上げ、ぢつと房一をたじろがせるほどつくづくと見入つた。そこには、以前そのまゝの張りのある眼をした、だが、弱い深い複雑な色が動いていた。妊娠以来急に人が変つたやうに見える、何となく房一の心を見透すやうな、捕へがたい、鋭い盛子がのぞいていた。多分、それは房一の思ひちがひだつたかもしれない。だが、彼はそこに、やさしい、けれども何となく苦手なものを感じていた。

    「どうでした」

    「うん。青島陥落の、ほら、旅団長閣下だよ」

    「さうですね。さつきからどうもさうらしいと思つていたんですが、失礼しました」

    「はあ、いや。もう手前どもは老いぼれ同然ですからな」

    と、全然ここの温泉を軽蔑しきっていたそうで、婆さんが絶え間なくタオルで全身摩擦しながら意地ずくでつかっている温泉とは何度ぐらいだろうと興にかられたが、調査もせずに引越した。

    云ひながら、腹帯の中からまるで金入れとは思へない位に大きな蟇口をとり出すと、十円札を何枚かつかんでいた。そして、ろくに返事も聞かないで房一に押しつけた。

    「はい、若先生に代りに行つてもらへとおつしやいました」

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